ペレ 伝説の誕生

スラムしか知らない少年が選択した、絶望を希望に変える“禁じられた切り札”

7.8(Fri)

イントロダクション

そのプレーを見るために、戦争が停戦した――スラムしか知らない少年が、なぜ世界を変えることができたのか?

多くの人が当たり前だと思っているサッカーの常識を作り、サッカーの王様と呼ばれる最高のサッカー選手“ペレ”。引退から40年たった今なお、その輝かしい記録の数々は色褪せず、レジェンドとしてその座に君臨し続ける。国際オリンピック委員会から“20世紀最高のアスリート”と評された彼は、スラムしか知らない少年だった。洗濯物を丸めたものをボールがわりにし、大会には裸足で出場する、決して恵まれているとは言えない環境で育つ。しかしその20年後、ペレのプレーを見るために、戦争が停戦した。なぜ彼は、底辺と呼べるような人生から、世界を変える存在になり得たのか? 世界中がそのプレーに魅せられ、彼が背負う背番号“10”がエースナンバーへと称されるようになる感動の実話が幕を開ける。

夢と信念、そして決断が生んだ感動の実話

ブラジルのスラムから生まれたサクセスストーリーは多くあるが、ペレがスポーツ界最高峰の大会でチームを優勝に導き世界を変えたことほど、想像を絶するドラマはないだろう。1950年、自国開催のW杯で敗れたブラジルチームは自信を失い、国民は絶望した(マラカナンの悲劇)。サッカー国際化の波の中、組織的ではなく個人に頼ったプレーが前近代的で未熟である、と欧州各国から揶揄された。さらに、怪我を負い変形した身体すら差別の対象にされたブラジルは、あるべき姿を見失ってしまう。さらに、ペレは監督からプレースタイルを否定され、チームの軋轢に揉まれるだけでなく、観客からもブーイングされる。すべてが逆風と言える状況の中で、たった17歳の少年が母国を優勝に導くために求められたもの――そこには、サッカーのスキルだけではない信念の強さ、そして決断の物語があった。絶望の淵でペレが選んだのは、絶望を希望に変える“禁じられた切り札”。自身の存在さえ揺るがす困難な状況に陥ったとき、あなたはペレのように、自分を信じる決断ができるだろうか?

世界を変える偉業を支えた、強い家族愛

本作は、ペレの世界を変える偉業だけでなく、彼を支えた家族愛がもう一つの主役となる。1950年、マラカナンの悲劇を目の当たりにしたペレは「ブラジルをW杯で優勝させる」と父親に約束し、その途方もない夢を追いかけ続けた。父親と共に、ボールではなくマンゴーの実を蹴り、技術を磨くペレの姿は、恵まれない環境にいる不幸さよりも父親とサッカーができる喜びに溢れる。サッカーをすることに反対した厳格な母は一転、プロサッカー選手になる扉を開き、一番のサポーターになっていく。ペレを信じて支え続ける家族の愛が、彼に夢と希望を与え、偉業へと導くのである。

アカデミー賞(R)に輝く豪華制作陣が贈る、かつてない感動と興奮のクライマックス

W杯優勝という歴史的快挙に、かつてない感動をもたらす本作には、実話ならではのパワーがある。監督を務めるジェフとマイケルのジンバリスト兄弟がブラジルを描く手腕は圧倒的で、『ファヴェーラの丘』(08)で20を超える映画賞に輝いた。『ブラック・スワン』(11)でアカデミー賞®にノミネートされた撮影のマシュー・リバティークが映し出す映像はブラジルの息吹き、熱、匂いをスクリーン越しに感じさせる。『スラムドッグ$ミリオネア』(08)でアカデミー賞®作曲賞と歌曲賞をダブル受賞したA・R ラフマーンの音楽は、時に重厚で、時に軽快なまさにブラジルらしいリズムで心の底から力が漲るような高揚感をもたらす。アカデミー賞®に輝くゴールデンチームが、現代最高の偉業を熱い感動を以てスクリーンに刻んだ。

STORY

エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント。ペレと呼ばれた少年は、バウルという貧しい村で育ち、友人たちと共に洗濯物を丸めたものをボールがわりにサッカーをする日々を過ごしていた。
1950年、自国開催のW杯でブラジルは決勝で敗れ、ペレは涙に暮れる父親ドンジーニョに大胆な約束をする。「いつか僕がブラジルをW杯で優勝させる。約束する」
しかし、ペレの母親セレステは彼がサッカーをすることに反対した。サッカー選手だったドンジーニョが膝の怪我をきっかけにサッカー選手を引退、貧しい生活を余儀なくされていたからである。
スラムしか知らないペレの人生はここから始まる。ペレが歩むこととなる道は決して平坦なものではなかったー彼を待ち受けている困難とは?彼はいかにして世界を変えたのか?
彼が選択した絶望を希望に変える、"禁じられた切り札"とは?

CAST PROFILE

セウ・ジョルジ

セウ・ジョルジ SEU JORGE ジョアン・ラモス・ドゥ・ナシメント(ペレの父親)

1970年、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。歌手として活躍してきた彼は、フェルナンド・メイレレス監督の『シティ・オブ・ゴッド』(02)で“二枚目マネ”を演じ、役者としても頭角を現す。その後、ウェス・アンダーソン監督の『ライフ・アクアティック』(05)でペレを演じただけでなく、デヴィット・ボウイの楽曲をポルトガル語でカバーし、デヴィット・ボウイ本人に「このレベルまで昇華されたカバー曲を聴くのは初めてだ」と称賛された。2012年のロンドンオリンピックの閉会式でマリーザ・モンチと共にパフォーマンスを行い、最後にはサプライズでペレが登場した。

マリアナ・ヌネシュ

マリアナ・ヌネシュ MARIANA NUNES セレステ(ペレの母)

1980年、ブラジリア生まれ。地元の学校で演技を学んだ後、舞台女優としてブラジリアでシェイクスピアやベケットの舞台に立つ。2007年スペインに渡り、マドリッドで映画・TVの演技を学び、短編映画などにも出演した。ブラジルに帰国すると長編映画に活躍の場を広げる。“O Homem Mau Dorme Bem”の演技でCine-PE 2010ほかで最優秀助演女優賞を受賞。11年には“Ver uo nao ver”で、イベリア=アメリカ映画祭の最優秀女優賞に輝いた。その後も、ブラジル国内にとどまらず、映画女優として国際的に活躍している。

ディエゴ・ボネータ

ディエゴ・ボネータ DIEGO BONETA ジョゼ・アルタフィーニ

1990年、メキシコ・シティ生まれ。「新ビバリーヒルズ青春白書」(09~11)、「プリティ・リトル・ライヤーズ」(10~11)など、数多くのTVシリーズに出演した後、『ロック・オブ・エイジズ』(12)でトム・クルーズやキャサリン・ゼタ・ジョーンズらと共演し、ブレイク。アメリカで900万人以上に視聴されている‘The Dovekeepers’に出演しているほか、『タイタンの戦い』シリーズの3作目への出演が控え、サム・ワーシントン、トム・ウィルキンソンとの共演が決まっている。

ヴィンセント・ドノフリオ VINCENT D'ONOFRIO

ヴィンセント・ドノフリオ VINCENT D'ONOFRIO フェオラ監督

1959年、ニューヨーク、ブルックリン生まれ。スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』(87)の出演をきっかけに、『愛の選択』(91)、『JFK』(91)、『マルコムX』(92)など、数多くの作品に出演。映画だけでなく、「LAW & ORDER:クリミナル・インテント」のロバート・ゴーレン役など、TVドラマにも多く出演。最近は映画『大脱出』(13)、『ジュラシック・ワールド』(15)の他にも、Netflixの大人気ドラマ「デアデビル」の主人公の敵役を演じるなど、活躍の場は幅広い。アントワン・フークワ監督でクリス・プラット、デンゼル・ワシントンと共演する“The Magnificent Seven”が待機している。映画監督としての評価も高く、2作目となる“The Kid”にはイーサン・ホークが出演する。

コルム・ミーニィー

コルム・ミーニィ COLM MEANEY レイナー監督

1953年、アイルランド、ダブリン生まれ。幼少期からダブリンの舞台に出演、ロンドンを経て、アメリカへ移る。TVシリーズ「新スター・トレック」(87〜94)のマイルズ・オブライエン役で人気を獲得する。同役で、「スター・トレック/ディープ・スペース・ナイン」(93~99)にも出演している。スティーヴン・フリアーズ監督の『スナッパー』(94)で、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされる。その他の出演作は、『ダイ・ハード2』(90)、『沈黙の戦艦』(92)、『コン・エアー』(97)、『レイヤー・ケーキ』(06)、『完全なる報復』(11)、『くたばれ!ユナイテッド -サッカー万歳!-』(09)、『べラミ 愛を弄ぶ男』(13)、『ワンチャンス』(14)など。

ロドリゴ・サントロ

ロドリゴ・サントロ RODRIGO SANTORO ブラジル人アナウンサー

1975年、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。2002年ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞にノミネートされた、ウォルター・サレス監督『ビハインド・ザ・サン』(01)で注目を集める。『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』(03)でハリウッドデビューを果たし、『ラブ・アクチュアリー』(03)では豪華スターと共演。『300〈スリーハンドレッド〉』(07)と続編『300〈スリーハンドレッド〉〜帝国の進撃〜』(14)のクセルクセス役の存在感は圧倒的。また『チェ 28歳の革命』(08)と『チェ 39歳 別れの手紙』(08)ではラウル・カストロを演じるなど、その幅広い演技力で評価を得ている。今後の待機作としてモーガン・フリーマンらが出演する『ベンハー』(59)のリメイク作品などがある。

STAFF PROFILE

脚本・監督:ジェフ・ジンバリスト、マイケル・ジンバリスト

ジェフとマイケルのジンバリスト兄弟は、HBO、MTV、 PBS、 ESPN、 Channel4 UK、BBCなどのテレビ作品を多く手掛け、脚本家としてもエミー賞にノミネートされた。兄弟は“The Two Escobars”の製作、脚本、監督を担当し、カンヌ、トライベッカ、ロサンゼルスの各映画祭で高い評価を受けた。ジェフはドキュメンタリー映画『ファヴェーラの丘』(05)監督し、20を超える数多くの映画賞を受賞している。

撮影監督:マシュー・リバティーク

1968年、ニューヨーク生まれ。ミュージックビデオでキャリアをスタートさせ、ザ・キュアー、アッシャー、デス・イン・ヴェガス、エリカ・バドゥ、インキュバス、トゥパック、モービー、スヌープ・ドッグ、ジェイ・Z、ザ・フレイなどのミュージックビデオの撮影を担当し、数多くの賞を受賞する。短編映画“Protozoa”でダーレン・アロノフスキー監督と仕事をしたことをきっかけに、『π』(99)、 『レクイエム・フォー・ドリーム』(01)、『ファウンテン 永遠につづく愛』(07)を手掛け、『ブラック・スワン』(11)でアカデミー賞(R)撮影賞にノミネートされた以降も『ノア 約束の舟』(14)の撮影を担当。スパイク・リー監督とも、『セレブの種』(04)、『インサイド・マン』(06)、『セントアンナの奇跡』(08)などで仕事をしている。世界的ヒットとなった『アイアンマン』(08)、『アイアンマン2』(10)そして、ゲイリー・グレイ監督の『ストレイト・アウタ・コンプトン』(15)も彼の代表作である。

音楽:A・R ラフマーン

1966年、インド生まれ。20年を超える作曲家の活動により、100を超えるサウンドトラックを担当。約1.5億枚のアルバムを売り上げるなど、アジア人最多のCD売上枚数を誇る。日本でも大ヒットした『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)などのインド映画だけでなく、『ヘブン・アンド・アース』(03)、『エリザベス:ゴールデンエイジ』(07)などのハリウッド大作も手掛け、『スラムドッグ$ミリオネア』(08)でアカデミー賞®歌曲賞、作曲賞の2部門を制したほか、ゴールデン・グローブ賞音楽賞、英国アカデミー賞作曲賞など数多くの賞に輝く。さらに『127時間』(10)で、再度アカデミー賞®作曲賞と歌曲賞にノミネート。その後も、『ロボット』(10)、『ミリオンダラー・アーム』(14)、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(14)などの音楽を担当した他、2012年のロンドンオリンピックのオープニング・セレモニーのオーケストラも担当した。

プロデューサー:ブライアン・グレイザー

1951年、アメリカ、カリフォルニア生まれ。映画やTV作品の製作に25年以上携わり全米製作者組合から特別功労賞を受けた彼が手掛けた映画・TV番組はアカデミー賞に43回、エミー賞に158回ノミネートされ、映画に関しては世界で総額137億ドルの興行収入を上げている。1998年にハリウッドの“ウォーク・オブ・フェイム”に名を刻み、2007年タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれる。映画代表作に『アポロ13』(95)、『グリンチ』(00)、『フロスト&ニクソン』(08)、『ビューティフル・マインド』(02)、TVシリーズでは「24」シリーズも彼の作品である。次回作にトム・ハンクスが演じるラングドン教授の3作目『インフェルノ』など。

プロデューサー:コリン・ウィルソン

現在のハリウッドを牽引するプロデューサー。スティーブン・スピルバーグとの親交も深い。『キャスパー』(95)の製作を務めたのち、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97)、『アミスタッド』(97)、『宇宙戦争』(05)、『ミュンヘン』(05)などの話題作を手掛ける。ジェームズ・キャメロン監督作『アバター』(09)ではアカデミー賞(R)9部門ノミネート・3部門受賞、キャスリン・ビグロー監督作『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)アカデミー賞®5部門ノミネート・1部門で受賞を果たしている。

PELE ペレ

ペレ

私が初めて語る人生の原点が、サッカーよりも、感情的なもので溢れていることに、驚く人も多いだろう。

本名、エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント(EDSON ARANTES DO NASCIMENTO)。1940年10月23日、ブラジル、ミナスジェライス州トレスコラソンエス生まれ。
16歳の時、約20年間在籍することになるサントスFCでサッカー選手のキャリアをスタートさせた。若干17歳にして、1958年のスウェーデンW杯でブラジルを初優勝へと導く。17歳での優勝は最年少記録として、いまだ破られていない。1962年、1970年のW杯の優勝にも貢献、3度のW杯優勝に現役で立ち会った地球上で唯一の選手となる。ペレだけがサントスFC、そしてブラジル代表を引っ張っていたわけではないが、1,375試合中1,283得点決めたという事実が、彼がサッカーの王様であることを証明している。
1974年、長らく在籍したサントスFCの退団を発表し、ニューヨーク・コスモスと契約、チームを1977年のNASLチャンピオンシップの勝利へと導いた。彼はサッカーをアメリカに知らしめ、公私ともにアメリカのスポーツファンたちのハートを鷲掴みした。1977年10月1日人生最後の試合でジャイアンツスタジアムに集結した75,000人の観客たちを前に「ラブ!ラブ!ラブ!」と世界の若者に叫びかけた。
彼は彼の生まれ育った環境を誇り、「生れた環境、育った環境、サッカーができた環境。この三つの要素が、自分に三つの魂を与えた」と語っている。その想いに忠実に、自分に与えられた環境やチャンスを活かし、社会貢献をすべく、現在多くのスポーツの親善大使などを務めている。タイム誌の「20世紀で最も重要な20人」に選ばれ、FIFAからは「世紀のサッカープレーヤー」と呼ばれた。2014年には「FIFA名誉バロンドール」を受賞。通常のバロンドールは1994年まで欧州国籍の選手のみが対象だったため、ペレはバロンドールを受賞したことがなかった。そのためFIFAはペレのために特別な賞を設けたのである。

PRODUCTION NOTE

サッカー界と映画界のレジェンドの出会い

異なる世界の2人のレジェンドが1つの物語のために集結するという、稀有な出来事が起きた。2012年、歴史上最も偉大なサッカー選手〈サッカーの王様 ペレ〉がハリウッドの象徴とも言えるプロデューサー宅を訪れたのである。ペレが訪れたのは、アカデミー賞®を初めとして、数多くの賞を受賞してきたイマジン・エンターテインメントのブライアン・グレイザーであった。ペレはグレイザーの作品の長年のファンであり、自身の伝記ともいえる作品の製作のために、いち早く彼に声をかけたのだった。話を聞いたグレイザーと彼の製作チームは、時代を代表するスポーツ界の逸話であるペレの人生が、映画館のスクリーンで観るに値すると感じた。傑作を生み出す冒険が始まる瞬間だった。

豪華制作陣の集結

スタッフ探しを始めた製作陣は、若手のジェフとマイケルのジンバリスト兄弟を監督・脚本家に抜擢した。2人はブラジルのサッカーとカルチャーを描く映画を手掛けて成功を収めた実績があり、本作を独特な視点ながらもリアルに仕上げられると確信した。数か月の取材の後、脚本の第一稿がペレとその家族や友人のもとに届けられた。
製作陣には新たにペルー人のプロデューサー、イヴァン・オーリックが加わった。彼はペルー出身で、呼吸をするかのようにサッカーと共に育ち、彼の身の回りにも当然のようにペレの逸話が溢れていた。オーリックにとって、自身が大好きな映画やテレビ番組を手掛けていたイマジン・エンターテインメントとペレの映画を作る一員になる機会を得たことは夢のような出来事だった。オーリックの会社セーヌ・ピクチャーズが製作に加わった数週間後に提出された最終稿は、満場一致で製作陣に受け入れられた。
ペレ、グレイザー、そしてオーリックは海外セールスを担当する一部の関係者などを招き、カンヌで本作の企画を発表、熱狂と共に迎えられた。映画の製作は一気に次なるステージへ進み、ペレの実話を描くに値する素晴らしい経歴の制作チームが集められた。『ブラック・スワン』(10)でアカデミー賞®にノミネートしたマシュー・リバティークを撮影監督に、美術監督は『スノーホワイト』(12)のドミニク・ワトキンス。キャスティングは『アメリカン・ハッスル』(13)のメアリー・バーニュー。『アバター』(09)のプロデューサーを務めたコリン・ウィルソン、ハリウッドで最も刺激的な編集を行うルイス・カルバリャールとグレン・スキャントベリー、更に『スラムドック$ミリオネア』(08)でアカデミー賞®を受賞したA・Rラフマーンを作曲家として迎え、映画へと魂が吹き込まれた。

苦難のキャスティング

ペレを演じる役者は9歳役と16~7歳役の2名をキャスティングする必要があった。外見がペレに似ているだけでなく、サッカーと演技の両方の才能の持ち主、そして当然、英語を話せなければならない。このキャスティングは、実力者が集う豪華製作陣の近年の仕事の中でも、最も困難で努力と熱意を必要とするものだった。キャスティング事務所はロンドン、アメリカ、南アフリカ、そしてブラジルに設置された。役者経験者、サッカー経験者、学校の人気者など、様々な背景の持ち主が集った。最初に決まったのは9歳のペレ役だった。選ばれたのはレオナルド・リマ・カルヴァーリョ。彼はカメラの前で人を惹きつける存在感を見せ、そのカリスマ性はペレ自身を想起させるものだった。
16歳のペレ役のキャスティングは一層の困難を極めた。外見が似ているが、英語力やサッカーの才能に欠ける者。サッカーの才能もあり英語も話せるが全く外見が似ていない者。キャスティングする上でどの要素も欠けることが許されなかった。途方に暮れたキャスティング担当や監督たちは、サッカーのテクニックを披露する大道芸人が多くいる通りやリオのビーチまでも探すようになった。ある日、監督たちがサッカーをしている若者たちの動画を見直していると、ペレにとても似ている若者を発見した。オーディション用に撮影された動画ではなかったが、外見はペレに酷似しており、サッカーのスキルも申し分なかった。
監督たちは動画の若者を探すため、ビーチに向かったが、残念ながら目的の人物はいなかった。しかし、完璧な人材を見つけたと信じた彼らは、翌日もビーチへと向かい、動画が撮影されたビーチ付近で行われていたセミプロのトーナメントを観戦していると、素晴らしい驚きがあった。なんとそのトーナメントで動画の若者がプレーしていたのだ。試合終了後、監督たちはすぐに駆け寄り、オーディションを受ける気がないか尋ねた。ケヴィン・デ・バウラと名乗るその青年は演技経験こそなかったが、そのオーディションは素晴らしいものとなった。ペレの燃えたぎるエネルギー、魂、そしてサッカースキルを持ち合わせていた。製作チームは遂に“彼らのペレ”を発見した!

映画に込めた熱い想い

製作陣は、本作をペレの偉業をただ賞賛するだけのものではなく、ペレの育った国や文化へ向けたラブレターのように仕上げたいと考えていた。物語の信憑性を高めるため、撮影は全てブラジルで行われることになった。そこはブラジルの自然・人々文化が醸し出す美しさの宝庫だったが、この決断は言葉の壁、異なる商習慣、現地の法律へ向き合う問題をはらんでいた。また、実話ならではの問題として、当時の建造物やサッカーのプレーなどの再現をいかに忠実に行うかなど苦難は多くあった。イヴァン・オーリック、コリン・ウィルソン達のロケハンチームはそれらの問題を解決するため、数カ月に渡るロケハンを行い、さらに協力してくれるパートナーを探した。ペレの物語を忠実に再現するために彼らは努力を惜しまなかった。
ブラジルでの撮影で最も感銘を受けたのは、現地の人々の熱意だった。撮影が進むにつれ、成長を続ける撮影クルーの存在はこの映画に欠かせないものとなり、キャスト・スタッフ含め数百名に及んだ。そしてそれは、ブラジルが生んだレジェンドを描く映画に真実味を与え、製作陣がブラジルの人々へ向けたラブレターとしての最高の表現となった。
この映画と物語に向けたキャストとスタッフの熱意が、ある一人のレジェンドの人生を後世に語り継がれるべき物語として昇華させたのだ。